
「非認知能力」という言葉、最近よく聞きませんか?
育児本、YouTube、保育の現場、はたまたビジネス系のコンテンツまで。あちこちで「非認知能力が大切」という話を目にする機会が増えた気がします。
でも正直に言うと、「それって具体的にどんな力のこと?」って聞かれると、すっとは答えられないんですよね。実は私もそうでした。
今回、大学の授業でこのテーマをちゃんと調べる機会があって、初めて「あ、そういうことか」と腹落ちしたんです。同時に、この言葉が広まれば広まるほど、誤解も一緒に広まっていく怖さがあるなと感じたので、それも含めてシェアしたいと思います。
この記事の内容
そもそも「非認知能力」って何?
非認知能力とは、一言でいうと「テストでは測れない、内面的な力」のことです。
この概念を世界に広めたのは、アメリカの経済学者でノーベル賞受賞者のジェームズ・ヘックマン。彼が40年にわたって行った追跡調査で、こんなことがわかりました。
IQや学力が同じくらいの子どもでも、非認知能力が高い子は大人になってから収入が高く、犯罪率が低い。
つまり、数値に出てくる「頭のよさ」より、見えない部分の力の方が、人生のアウトカムに影響していた、ということ。
じゃあ具体的に何がその「力」に含まれるのかというと、日本生涯学習総合研究所の研究では13の要素が挙げられています。
問題解決力、批判的思考力、協働力、コミュニケーション力、主体性、自己管理能力、自己肯定感、実行力、統率力、創造性、探究心、共感性、道徳心。
これを見て、「バラバラじゃん」と思った方、鋭いです。種類が違う力たちが一緒くたになってる感じがしますよね。でも共通点があって、それは「数字じゃ測れない、でも確実に日常と社会に影響している内面の力」ということ。
国際的な観点から見ると、OECDは「社会情動的スキル」という言葉を使っていて、「目標の達成・他者との協働・情動の制御」に関わるスキルと定義しています。少し言葉は違いますが、「感情や意欲、姿勢といった内面の力が、社会での成功と深く関わる」という根っこは同じです。
認知能力との違いと関係性
「認知能力」とは読み・書き・計算など、テストで測れる能力のこと。よく非認知能力の対義語みたいに語られるんですが、実際はこの2つ、対立じゃなくて連動しているんです。
たとえば探究心が強い子(非認知)は、自分から学ぼうとするから学力(認知)も伸びやすい。これはわかりやすい例。
でも面白いのが、この関係に方向性があるということ。
東京大学大学院教授で教育心理学者の遠藤利彦さんの研究によると、非認知能力の育ちが認知能力を引き上げることは多いけれど、その逆——認知能力が育つことで非認知能力が上がる——という流れはあまり成立しないとされています。
つまり順番としては、非認知が先で、認知がそれに続く。
ヘックマンが「能力は能力を生む(Skills beget skills)」と言ったのはそういうことで、でもその「最初の能力」として大事なのは、数値で見えない内側の力だったということです。
じゃあ、非認知能力はどうやって育てればいいの?
ここがいちばん大事なところだと思うんですが、答えはちょっと拍子抜けするかもしれません。
それは、、、特別なプログラムじゃなくて、日常の中で育つ。複数の研究が一貫してそう言っているんです。
①自由な遊びの中で育つ
ごっこ遊びをすると「あの子はどんな気持ちかな?」という共感性が育まれる。積み木や砂場遊びは試行錯誤の繰り返しで、問題解決力や創造力につながる。友達と過ごし、信頼できる大人と関わることで、コミュニケーション力や道徳心も自然に身につく。
ここで重要なのが、大人が「こうしなさい」と介入しすぎないこと。子どもが自分の意志で没頭できる時間と環境が保障されているか、それがカギです。
②安心できる関係が土台になる
遠藤さんは、非認知能力の発達に欠かせないものとして「アタッチメント(愛着形成)」を挙げています。
自分は無条件に愛されている。
怖いとき助けてもらえる。
悲しいとき話を聞いてもらえる。
挑戦するとき見守ってもらえる。
そういう安心感があってはじめて、子どもは新しいことに挑戦し、失敗しても立ち直る力を獲得していくんです。
そして見落とされがちなんですが、失敗させること自体が大事。
大人がすぐ手を差し伸べてしまうと、「自分でやり遂げた」という達成感が育まれず、自己肯定感の土台が揺らいでしまう。
「待つ・見守る」という姿勢は、口で言うより難しいんですが、これが実は最も大切な関わり方なんですよね。
安易な理解がもたらす問題
非認知能力が大事だとわかってくると、「じゃあ育てなきゃ!」ってなりますよね。でもそこにこそ、落とし穴がある気がするんです。
「測れないもの」を測ろうとする矛盾
非認知能力ブームとともに、「非認知能力チェックリスト」とか「忍耐力テスト」みたいな商業ツールが増えています。
でも非認知能力の本質は「数値化が困難な内面的な力」のはず。
測れないからこそ価値があるものを無理に数値化しようとするのは、そもそもの定義と矛盾しています。
早稲田大学文学学術院教授で心理学者の小塩真司さんも、この概念が曖昧なまま広まることで、性質の違う力が一緒くたに語られてしまう問題を指摘しています。
「育てよう」という意識が、非認知能力の育ちを妨げる
遠藤さんも言っているのですが、非認知能力のすべての要素を全員に一様に育てればいいわけではない、というのも重要な視点です。
たとえば自己主張が強い子には、感情を抑制する方向の関わりが有効なことがある。でも引っ込み思案な子に同じことをしたら逆効果になることも。
非認知能力は「全員に同じものを育てるもの」ではなく、その子の気質・特性に合わせて関わり方を変えるべきもの。
そして大人側の「育てなきゃ」という焦りが強くなればなるほど、子どもとの自然な関係性は損なわれ、最も大切な土台であるアタッチメント自体が揺らいでしまう。それでは本末転倒です。
子どもの非認知能力を高めるために親や保育者がすべきことって結局、何?
ここまで見てきた通り、非認知能力は認知能力の発達を先導するものでもあり、これから先の予測できない未来を生き抜いていく上で、確かに重要な力ということは理解できます。
しかしそれは「育てよう」と意識して不自然に教え込めるものではなく、子どもが安心できる環境と、無条件に愛されているという信頼関係の中で、自由に遊び、失敗し、立ち直る経験の積み重ねの中で自然に育まれるものだということも同時に理解しておかなければいけません。
これらを踏まえて養育者がすべきことは、早期教育プログラムのために高額な支払いをすることでも、子どものマイナスな部分に着目して弱点を伸ばそうと躍起になることでもなく、目の前の子どもを心で観て、その子の気質や特性を深く理解し、その子にとっての「心の安全基地」であり続けること。
遠藤さんが示した通り、アタッチメントという土台なくして、非認知能力の育成を語ることはできないのです。
「非認知能力を育てなければ」という言葉に焦るより、子どもが「自分はこの人に受容されている」と感じられる場所をつくることが、子どもが安心して外の世界を探求できる出発点になり、それが、見えない力を本当の意味で開花させることにつながるのです。
幼児教育に躍起になる前に、一度静止して考えてみる必要はありますね。
(おわり)
参考文献
- Heckman, J. J. et al. (2006). The Effects of Cognitive and Noncognitive Abilities on Labor Market Outcomes and Social Behavior
- 遠藤利彦ほか(2016)幼児教育における非認知的な能力の意義
- 小塩真司(2023)「非認知能力」の諸問題
- 日本生涯学習総合研究所(2022)非認知能力に関する調査研究報告書

