
先日、独り住まいの父の自宅に親戚が遊びにやってきたらしい。
父は未だ68歳だが、癌の後遺症もあって家の中をゆっくり歩くのがやっとなぐらいの健康状態だ。
それでも不満も言わず、マイペースに家でテレビを見ながらお酒とタバコを嗜み、毎日瞑想するかのように生きている。
そんな父は、あまり長く会話したり誰かと一緒に長時間過ごす体力をもう持ち合わせていない。
長年一緒に生活してきた気の置ける私とでさえ半日持たないうちに疲れて眠ってしまうぐらい、もう体力が続かないのだ。
波動の合う相手とならばいくら会話しても疲れることなんてないだろうけど、気難しい父と合わせられる人間なんてそうそういない。
親戚が父宅にやってきてどんな会話をしたのかは知らないが、父は途中「疲れたから寝るわ、もう帰り」と言ったそうだ。
これは最近の父にはよくあることで、私も実家に帰るたびに何回か言われたことのある台詞である。
その日の夜11時過ぎ、こんな時間にめずらしく携帯の着信音が鳴った。
着信相手は親戚からだった。
電話に出ると、呂律の回っていない口調で明らかにお酒を飲んでいそうな空気が真っ先に伝わってきた。
親戚
「あ、愛ちゃん?今日お父さんところに行ったんやけど、なんかしんどそうやってね。『もう帰り』なんて言われたのは初めてやったし、なんか急に心配なってきて、さっきから何回もお父さんに電話してるねんけど応答ないから寝られへんねん。ごめんやけど、今からお父さんの家に行って見てきてくれへん?タクシーで私が見に行ってもいいねんけど、愛ちゃんが一番近いやろ?」
深夜に冷静さを失った状態で何を一人で「心配劇場」を繰り広げてるんや。
言ってることが全然消化できなかったが、この人のお酒付きの講釈は過去に何度か経験しているので免疫があった。
私
「お父さんもう寝てますよ。こんな遅くに何回も電話したら怒って余計出ないです。私も今近くに住んでないし、もう終電もないし、タクシーも通ってません。それに、お父さんは『もう帰り』って私にも最近よく言いますよ。夜電話出ないのはよくあることなんで大丈夫です。明日の朝もう一回電話してみてください。9時ぐらいなら出ると思います」
わたしはスマートに宥める気にもなれなかった。
こんな的外れな「心配」ほどエゴなものはない。
この親戚が演じているのは、思いやりではなく「心配劇場の的外れなヒロイン」だ。
「わたしはこんなに兄弟のことを想って心配できる人間なのよ」という間違ったアピールにしか聞こえなかった。
本当に心配なら、お酒なんて飲まずに自力で見に行くのが筋ではないか。
自分で運転できなければ同居している家族に頼むこともできるだろうし、タクシーで行っても払えない金額にはならないはずだ。
それができないなら、始発まで待つしかないだろう。
それ以前に、自分の的外れな空想で大切な父を勝手に殺さないでくれ。
翌朝、私は起きてすぐに父の好きなカツサンドを買って実家に向かった。
もともと住んでいた家ということもあってチャイムも鳴らさず「ぐっもにーん」と入ると、ケロッとした顔で机の前に座っている父がいた。
父
「あれ?どないしたん?今日は早いやん」
愛
「昨日の夜、電話いっぱい鳴ってなかった?」
父
「おー!そうや!こっちは気持ちよく寝てんのに!」
愛
(・・・やっぱり)
父
「さっき怒ったわ!心配やったらお前が自分で来い!ってな。自分で来もせーへんくせに、何を一人で妄想膨らまして、みんなに電話しまくって迷惑かけとんねん」
親戚は、父と私にだけじゃなく、他にも電話を入れていたらしい。
そして数日後、親戚から父宅に一通の手紙が届いていた。
父
「勉強のために読んどくか?むかつくで」
父宛の手紙だったが、シュレッダーに突っ込む前に目を通して怒りか又は傷みを経験してみることにした。
手紙の内容は、自分があの日どれほど心配したかということ、それなのに愛ちゃんはお父さんに冷たすぎるということ。
そして、父にも私にもう二度と連絡しないと殴り書きのように書かれていた。
あまりにも的外れすぎて本当になんの怒りも持てなかった。
人の解釈というものはここまで暴走できるものなのかということを学んだと同時に、父を含め、今心を通わせて話ができる相手がいることが、どれだけ貴重かということだけがわかった瞬間であった。
人それぞれ「思いやりの形」というものがあるのは理解できるが、勝手に心配劇場を繰り広げるだけの人間は、わたしの人生にはいらないかな。(キツくて申し訳ない)
もしあなたが誰かを心底心配するならば、その人の悪い未来を想像するのではなく、できるだけ側でおもいっきり笑い飛ばしてあげることが特効薬だと、私は心から思うよ。
(おわり)