こんにちは、愛です(・∀・)
このあいだ、いきなりトンボが飛んできて私の目の前で死にました。
大阪の難波から関西国際空港へ向かう午前11時前、途中で電車を乗り換えなければいけないことに気付かず、泉佐野駅のホームで関空行きの電車を待ってるときでした。
勢いよく4枚の透明な羽をバタつかせたトンボが頭上に現れ、左へヒュン!と横切り、そのまま強く飛び続けるのかと思って様子を目で追っていると私の目の前に落ちてしまい、少々羽をバタつかせ、羽が動かなくなったら足を回転させ、そしてまったく動かなくなってしまいました。
今まで生きていたトンボが目の前で死んだ。
トンボが死ぬ瞬間を生まれて初めて見ました。
偶然、この時読んでいた本が引き寄せの内容だったことから、この目の前のトンボの死は私への何かのメッセージだと感じました。
Googleで「トンボ」という昆虫をスピリチュアルな観点から調べてみると、とても縁起の良いシンボルでメッセージ性も強いのです。
トンボは、恐竜よりも先に地球に存在した羽を持つ最初の生き物で、生き物の中でも類い稀ないサバイバル能力と摩訶不思議なエネルギーがあるから太古から今までずっと生き続けている。
開運の兆し・勝利の兆し・変化の兆し・先祖の魂を運ぶメッセージ性も強いそうです。
「常に前へ」しか飛べない習性から、今目の前で披露されたトンボの死は明らかに私に「止まるな」と強く訴えてくれているのだろうと察する。
私はちょうど今月末で働いている制作会社を退社し、新たな旅立ちの準備を進める気持ちでいるところでした。
コロナが落ち着かない状況下ですが、もう一度海外へ渡ることを決意しました。
一方で、目の前のトンボの死体をみると少し悲しい気持ちにもなりました。
「この死骸をこのままここに置いていて大丈夫かな」と考えているうちに関西空港行きの電車がきてしまった。
すると、裏返って死んでいたトンボの体が吹いた風に乗せられてクルッと綺麗に回転し、まるで生きてただ地面に静止しているかのような状態に変わったのです(驚)
その状況に、さっきまでの小さな悲しみはいっきに晴れて、空いている電車に乗り込み席に座った。
席の対角線上でトンボの目線がきれいに私の方を向いていました。
「大切なことを伝えにきてくれてありがとう、トンボさん。私突き進むよ。好きと理想に向かって想い描く人生をデザインするために止まらずに突き進むよ!!!!!」
私は心の中でトンボにそう伝えました。
するとまた奇跡が起きました(!)
見えないほど小さな風が吹いたのでしょうか、トンボの右羽だけが上下に優しく揺れ、まるで手を振ってエールを送ってくれているように見えたのです。
羽が上下に動いたのが偶然じゃないと思えたのは、動いたのはその一回きりだったからです。
もしそれが大きな風だったなら胴体ごと動かされて回転していたはずだと思います。
いよいよ電車の自動ドアが閉まってトンボの姿が見えなくなるまで私は誓い続けました。
「突き進むね。見たい景色をすべてみて死んでやる」と。
虫が運んできてくれた「エール」に気付いた小さな実話です。みなさんも同じような経験はありますか?
今回出逢ったトンボの写真は撮影しなかったので、同じ雰囲気を持った写真をいくつか貼っておきます。
追記
今週のはじめ、腎臓結石除去手術を無事終えた父の見舞い(具体的に言うと好物のドーナッツを看護師さんに預けにいっただけ)の帰りに病院の前でバスを待っていると、まだ真夏の気候であった炎天下の大都会に突如コオロギが「ぴょん!」と足元に現れました。
一瞬ゴ◯◯リかと思ってびっくりしたけど足の形と動作が違うことに気付いて観察していたら、なんと草むらには戻らず、勇敢にも目の前の鉄の巨体(車)がビュンビュン行き交う4車線の道路を渡ろうとし始めました。
何度も車のタイヤのに弾き返されるように「ぴょん!」と戻ってきては渡ろうとするコオロギは最終的に道路のスタンプになってしまいました(悲)
実はもう1つありまして、先々週、家のソファにナナホシてんとう虫がいたんです。
その日は雨だったからお泊まりしてもらって、翌日緑のある場所に返しにいったのですが一軒家でも一階でもないマンションの一室にてんとう虫がやってくるのは初めてでした。
私は虫という生き物があまり得意ではないのですが、こんな出逢い方をすると全てが味方でメッセンジャーのように思えてしまうのは都合が良すぎるかなぁ。
それにしても、道路のスタンプになってしまったコオロギを見たのはやはりちょっと悲しかったなぁ。
(おわり)