みんな心の中に【どこでもドア】をもっている

私は、2LDKの狭い住宅に住む五人家族の末っ子として生まれた。

家の中には鍵付きのドアや厚い壁に囲まれた部屋はなく、薄い障子をスライドして部屋の間取りを作った昭和なレイアウトだった。

そんな狭い家に、父、母、長男、次男、私、途中から犬が2匹加わって住んでいたことがいまだに信じられない時がある。

小学校に通い出し、友達の家に遊びにいく機会が増えて知ったことは、友達には必ず「自分の部屋」というものがあった。

女の子の部屋にはピンク色のベッドや美少女戦士の絵、そして可愛い雑貨や少女漫画が並べられた棚もあった。

たまに、弟と一緒の部屋で共同生活しているお姉ちゃんの友達もいたが、私には家で一緒に遊べる年頃の兄弟がいなかったので、それはそれで羨ましく思えた。

わたしには、部屋がなかった。

それでも、幼い頃に「部屋が欲しい」とゴネたことはなかったと思う。(犬が欲しいと父の足下から離れずに何日も懇願したことはあるが…)

母はそんな私に気を遣ったのか、リビングの一角を部屋にしたらどう?と提案してくれた。

だが、母の頭の中にあるアイデアが形になっていくにつれ、それはもはや犬小屋にしか見えず、余計狭くるしく感じた私は「いらない」と言って、ある日を境に「押入れ」を自分の部屋にして生活するようになった。

夜の押し入れは、みんなが布団を全部出してくれるので大きなスペースが生まれ、シングルベッドぐらいの部屋になる。なんなら天井も結構高い。

それに、押入れのドアは少しだけ重たくてスライドするのにコツがいるため、当時の家の中ではトイレに次にセキュリティが高いことを子供ながらに察したんだとも思う。

押し入れには電気がなかったので、延長コードを部屋から引っ張り、フックを上手に使って読書ライトを天井からぶらさげた。

長男が使わずに放置させていたライトだから、勝手に使っても何も言われなかった。

ライトのお陰で、わたしは自分の空間に浸りながら大好きな本や漫画をゆっくり読むことができるようになった。

それと、おままごとグッツを買ってもらったときについてきたカゴも天井から吊るし、お気に入りのおもちゃと人形を収納した。

人形の顔をぜんぶ自分が寝る枕の方へ向けるように並べるのがちょっと難しかった。

私が自分の部屋(押入れ)でそうやって好きなことをしていると、お兄ちゃんがノックもせずにドアを開けて「おまえ何してんねん!ドラえもんかよ!」と大爆笑してくることがよくあった。

普通なら恥ずかしがるか怒るのかもしれないが、大好きなお兄ちゃんが私が好きでやってることを見て笑ってくれるのは、なぜか純粋に嬉しかった。

お兄ちゃんは、大人になってからも私が幼い頃に押入れで生活していたことを笑い話として、よく友達や彼女に話していた。

シングルベッド程の空間しかない押入れだったが、私にはその広さは計り知れなかった。

当時の私は、まだオネショをするような子供だったのに、押入れを真っ暗な状態にして一人でいることを「怖い」と思ったことは一度もなかった。

大人になった今でも暗い場所や夜道はすごく怖いのに不思議。

読書ライトを消して、真っ暗な押し入れの中で目を閉じると、ここなら好きな子も友達も大きな動物もたくさん呼んで遊べると本気で思った。

それは、今この文章を描きながらあの頃の自分を俯瞰的に見つめても、記憶はハッキリそう応える。

あの空間は、無限の旅の始まりだったんだと。

想像する全ての世界と繋がれる空間、それが押入れだった。

あの空間で寝ながら見た夢は、子供ながらの深い潜在意識との対話だったんだと、大人になった今、辻褄があう。

真っ暗な押し入れで、本でみた世界のことをたくさん考えながら幸せな気持ちを抱えて横になる。

当時、恋していた男の子のこともよく考えた。

光のない押入れで考えたことは、「未来」という言葉の意味もまだうまく理解できていないはずの「ミライ」のことや、ワクワクドキドキすることばかりだった。

あの真っ暗な空間は、私が何を想っても何を感じても「NO」とは決して言わなかった。

それどころか、狭くて変な家庭環境から色んな場所へ私を飛び連れ発ってくれる「無限の場所」だった。

ただの真っ暗な押入れで寝ていたというバカげた幼少期の出来事だが、SF映画のワンシーンに出てきても成り立つ「無限」の光景を、私はあの暗闇で確かに見ていたと、今も自信を持って言える。

私が旅人として世界を放浪すると決めた人生の根元は、あの日あの押入れで想像した潜在意識が大人になった今に働き、あの時想像した全ての未来がここに存在している、とデジャビュ(既視感)に感じることも多々ある。

過去のどこかで強く願い、強く意識した結果が今の自分なんだとしたら、今、日本に閉じこもって行くべき道を見失いかけそうな自分がすべきことは、幼少期からの記憶を自然に委ねながら丁寧に呼び起こすことが鍵になるかもしれない。

大人になった自分は一体どうありたいのか。
どうあるべきじゃなく、どうありたいのか。

パソコンも携帯もなかったあの頃の幼い自分が、狭くて真っ暗な押入れで常に「無限の世界」と繋がっていたという紛れもない事実を「過去」として私は持っている。

あの頃の自分ができていたように、自分の夢見る、もしくは強く想えるものをもう一度明確化し、あの頃の自分のようにただ創造することを楽しみ尽くす感覚、それが今につながる生きるテーマではないのか?

大人になり、難しい文献を理解することができるようにもなった今、そこから何を掘り起こし、何に挑戦し、その先に見つける我が人生の答えは、どうか笑うほどシンプルで美しく、平和で、そして狭く、だけど壮大であってほしい。

全ての沸き起こる震動に向き合いながら、丁寧に探っていくマインドの一角を今日ここに描き残す。

 

(おわり)