立ち止まらなければ見えなかったものがある

3月に入ってからずっと大阪に引きこもっている。

もちろん外には行くけど、今はあまり働いてないということもあって、貯金ではなく預金を大切にするために自宅で質素な生活を心がけている。

まぁなるべく自炊して自転車に乗るという程度だけど。

パンデミックの最中、ブルネイ共和国から帰ってきたのが2020年3月だったので、もう1年以上海外には行ってない。

私はこのコロナで渡航規制がかかっている中でも、海外には「行こうと思ったらいつだって行ける」と最近は思えるようになった。

もちろん半強制的に帰国した当初は、まるで恋人にふられたかのように、いつ何時も涙が出てお先真っ暗だったが、今は「コロナのせいで海外に行けない」などと被害者目線に感じることはなくなった。

渡航できる国は未だ限られてはいるけど、アメリカ合衆国との行き来だって条件付きで許されているし、メキシコなんて条件なしで入国可能だったりする。

もし私が本当に「メキシコに行きたい」と心から強く強くちゃんと想えば、私のことだ、これまで同様さっと行動してるだろう。

でも、それをしない自分が今ここに存在している。

それはコロナのせいではなく、自分のマインドが変化したせいだ、と最近は全てが自分主体で世界が成り立っていることを、ちゃんと認められる大人になった。

コロナは私を日本に閉じ込めたのではなく、ようやく「大いなる人」と書いて「大人」へと導いてくれたようだ。

「お父さんメキシコに行きたいよ!行きたい行きたい!行けるまで動かない!」と駄々をこねるような今までの無計画な夢見旅から目覚め、旅人と名乗る人生を次のステージに持っていくために、わたしはこうしてまだ日本に留まる意を自分に課しているのだろう。

だけど、それは今後再びするであろう旅を、大人びた、或いは計画されたものにするためではなく、超真逆で、もっともっと自由奔放に「大いなる」旅をするための総がかりな改革の準備とも思える。

話を主題に戻して、わたしはずっと一緒に住んでいた(居候させてもらってた)大阪市内の父宅を離れ、東大阪と大東市の狭間で一人暮らしをしている。

ベランダや窓からは生駒山が近くに見え、天気が良い日は景観がなかなか良いが、社会はこういう開放的な自然の麓に「送電塔」なんかをたくさん作ってしまうので、時々疲労に見舞われると「電磁波のせい?」とか思っちゃうこともあるのだが、これも自分の考え方ひとつである。

電気を使わせてもらえなければ、こうして早朝のまだ暗い家の中に光を灯し、音楽を聞きながらパソコンに想いを描く、なんて有難い行為は一切できないのだから。

送電塔然り電気様様である。

そう思える私は、最近ようやくこの町とも仲良くやれるようになってきた。

そびえる送電塔

そもそも、このエリアに住むと決めたのは私だ。

今日はなんだか「全部自分で決めてここにいる」ということを主旨に書いている気がするが、本当にこの宇宙はそういう法則なのだ。

今の自分は「全部自分で選んだ自分」であり「全部自分が求めてきた自分」なのだ。

最近はこれが本当に深くよくわかるようになった。

その理由は、ちゃんと立ち止まれるようになれたからだと思う。

突き進むだけが答えだと、いつも行動ありきだった私にとってそれは思わぬ収穫だった。

「置かれた場所で咲きなさい」という名台詞を当時はぶった切っていたが、今は「本当にその通りでござんすね」と煎茶でも淹れてしまいそうになる。

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旅をしたいか?
海外に行きたいか?

聞かれたならば、聞かれる前から答えは「YES!YES!YES!」だ。

だが、行けることを知っていても行かないと決めている所以に、今はこの場所で水を注ぐことができている。

私はね、できない理由を探さない人間なんです。

常に突破口だけを探して生きてきた。

だから「今は行かない」を自分でコントロールして選択しているって常に強く思いたい。

それがもし社会の重圧で選択されてるように側からは見えていたとしても、ちゃんと自分で動かしているっていう意志に結びつけたいの。

それが非力であっても「自分を生きる」ってことだと思う。

さてさて、旅をうばわれた旅人が近所で撮影した写真をどうぞ。

(おわり)