インド、ラジャスタン州「ジョードプル」という街に住む、5人兄妹の末っ子Priya。
モデルのような美貌とプロポーションを持つ彼女。
地元の学校でも成績はトップクラスで、学ぶことが好きで、才能も知性もある若い彼女。
そんな彼女は、わたしにこう言った。
「愛は自由にどこへでも行けていいね」
インド大都市では、女性の社会進出をバックアップする変化が出てはいるものの、インド全州に目を向けるとそれはあってないもの。
「ラジャスタン州では、女性が社会で働いたり海外に飛び出すことを良く思わない人が多い」
「女はお見合い結婚して子供を作り、家庭に留まるのがここでは当たり前」
小さなスマートフォンを持ちながら、「大丈夫、わたしにも小さな自由があるから」と弱く笑顔で微笑む彼女を見て、どこにでも行けすぎて、まだどこにも辿り着けていない日本から来た自分が無性に嫌になった。
彼女が住む家には当たり前のように両親がいて、兄弟姉妹がいて、その子供達がいて、毎日が賑やかで騒がしくて、私にはそれを簡単に「美しい」と思うことしかできなかった。
でも、末っ子だからこその経済的かつ社会的な葛藤がたくさんあるようだ。
「姉も本当はもっと子供を作りたいけど、今のうちの経済状況では子供1人を育てるのもやっとなの」
「だから、親や兄妹や親戚の迷惑になることはしたくない」
「ラジャスタンでは、お見合い結婚しても女性側が金品を差し出さなきゃ嫁にもらってくれないの」
「家にそんな余裕はないから、末っ子のわたしはいまも独身なの」
Priyaは、きっと日本から来た私に助けを求め、心の内を見せてくれたのかもしれない。
彼女は両親兄妹を心から尊敬し、そして、愛していると言っていた。
わたしには自己犠牲に見える彼女の心は、半ばもう「これで良いのだ」という悟りの域にあったように思う。
だけど、彼女の魂はきっと、もっと壮大な居場所を探しているように私には見えた。
ごめんね、Priya。
今の無力なわたしにできることは、あなたにこの写真を送ることだけ。
あなたは無限の可能性に溢れた「美しい人」と写真を通じてエールを送ることしかできない。
この州の偏見や家族の問題を乗り越えて羽ばたくかどうかは、あなた達若者が決断して行動していかなきゃきっと変わらない。
宗教信仰、親と兄妹へのリスペクトと愛も確かに素晴らしいもの。
だけど、最後に信じるべきは「自分の声」なんだ。
(おわり)