レオちゃんが旅立った日から今日で2年が経った。
早いような、遅いような、、、どっちの感覚でもあるような。
レオちゃんとお別れしてから3ヶ月後、わたしの旅人生は無計画にはじまった。
やりたいことは全部やってきた2年だった。
だけど、わたしはいったいどこに向かっているのか実はまだわからない。
最近、それがなんかネックになってて結構落ちこんでいた。
なんのために生きてるのかわからなくてボーとしてることもあった。
おかげでこの1ヶ月、何度か電車を乗り過ごした。
社会にでてお金をもらっているから我慢しなければいけないことも多少あって、多少じゃないところもあって実は我慢だらけかもしれなくて。
嘘の自分を演じてる自分、大嫌いだ。
嫌われないように振舞うことを強いられるなら、絶対また新しい選択をしよう。
不自然に湧き出てくる苛立ちに悪い妄想を頭のなかでつくりあげてくるのを観察し、これも自分の一部なんだと認めて、さらにまた落ちこんだ。
落ちこんだっていっても、そこまでどん底な気分ではなく、なんだろ、、、
ただ覇気がないような、そんな気分だ。
最近「エゴ」というものがだいぶ黒く大きくなってた気がする。
まわりに色々与えられすぎたせいで、じぶんの心、自分自心が迷子状態である。
周りからいただくものに心を動かしてるあいだは、きっとこの状態からは抜け出せないってところまでは辿り着いたんだけどな。
でもじゃあ「自分自心」ってどこにある?ってところで、今ぐるぐるしてる。
このあいだ友人に、自分の考えをうまく説明しよう伝えようと言葉を探してる自分を見て、なんか違うと感じた。
言葉で理解してもらおうなんて思ってるあいだは、自分ってまだまだだなって思ってしまったんだ。
言葉なんてものがこの世からなくなっても自分らしく生きるためにはどうすればいいのかな、なんて考えたり。
でも「自分らしく生き残るための〜♪」とか考えてるあいだは、それがまた黒いエゴが生まれる瞬間でもある。
だから言葉なんてもんはいらないんだよ!結局は「囚われる」から。
な〜んてことを考えだすと、またぐるぐるぐるぐると自分がどこに向かっているのかわかんなくなる。
でも、「向かう必要なんてない」ってことは言葉ではわかってて。
こんなことばっか考えてるから、最近まわりに「宇宙人だね」って言われるけど、それはそれで悪い気はしなくて。
最近のわたしはそんな感じです。
とりあえず、今日は愛するレオちゃんの命日なんだ。
レオちゃんとは常に会話してるから今日だけが特別な日でもないんだけど。
レオは、いつもわたしが一方的に話す言葉に反応して黒いおめめをキョトンとさせながら、たまに首をかしげてまで真剣に聞いてくれた。
そして、わたしが社会に泣かされて帰ってくると、いつもお家で寄り添ってくれたの。
それだけだった。レオちゃんとの間には言葉なんてなかった。
わたしたちのあいだに言葉なんてまったくいらなかった。
そうゆうふうに、レオちゃんのように、わたしもこれからたくさんの人をただまっすぐに愛していきたい。
レオちゃんやっぱりすごいよ。本当にありがとう。
わたしたちに言葉は要らないのはわかってるけど、これだけは言わせて。
ずっと、ずっと、愛してる。
(おわり)