バラナシ最後の日になりました。
あしたの夕方にはデリーに帰る飛行機に乗っています。
そんな今日は聖なるクリスマスでした。
オレンジ色に輝く満月が日本よりも近くに現れて神秘的だったのに、こーゆうときに一眼レフを部屋に置いてくる私のバカさ加減。
38年ぶりにクリスマスと満月が重なる今夜は、宿で出逢った素敵なご家族さんと一緒にプージャと言われる神聖な礼拝儀式に行ってきました。
えっと、約1週間ここバラナシに滞在して毎日おもったことは、とにかくうるさい街だった。
早朝5時頃から寺のサイレンが大音量で旧市街に鳴り響き、それと同時に何人かのインド人が大声をあげて祈り始める。
夜中は野犬たちが活動する時間なのかあちこちで鳴き声がするし、宿の近くにたまっていた牛達もたまに鈍い鳴き声を聞かせてくる。
でも、私をいちばん悩ませたのは犬でも牛でもなく人間だった。
それは、私と同じ宿泊客のインド人だった。
彼のホテル中に響きわたる信じられないぐらい大音量のイビキで毎晩おかしくなりそうだった。
それだけじゃなく、起きたあとに喉から放たれる下品で痛々しい咳とタンを長時間ぶっぱなしながら朝の身支度をするのだ。
失礼なことを言っているのは承知だけど、本当に病気なんじゃないかと疑うぐらいの大音量だ。
夜この彼が寝てから朝完全に目覚めるまでの時間、わたしは彼から放たれる騒音で全く寝付けず、いよいよ彼の部屋までクレームを言いにいってやろうかこのまま我慢して眠くなるのを待とうかとひたすらベッドの上で葛藤を続けていた。
なんとか数時間だけ浅い眠りについた後、ロビーに行って仲の良いスタッフさんにこのことを話すと、スタッフさんも彼がここに泊まるようになってから毎晩寝れないとゆう。
「今晩もこれだったらキックしてやろう」と言っていたほどだ。(もちろん冗談だと思うが、、、)
スタッフさんとロビーでそんな話をしていると、ちょうどイビキの本人がやって来たので、うるさくてみんなが眠れないことをスタッフさんがハッキリと伝えてくれた。
彼は初め信じられない顔をしていたが、その後申し訳なさそうにもう一泊するする予定をキャンセルして宿を出ていった。
インドに来て大抵のことに寛容になったつもりでいた私も、ここバラナシで約2ヶ月ぶりにイライラさせられた。
外に行けばゴミとうんこだらけの道。
宿に帰れば迷惑な客。
まじでたまったもんじゃなかった。
あともうひとつ。
インドに来て2ヶ月間めちゃくちゃ元気だった私が、ここバラナシで体調をひどく崩した。
嘔吐と下痢を夜な夜な繰り返し、熱と頭痛で2日間フラフラになった。
病名はわからないけど、たぶん胃腸炎と風邪だと思う。
何が原因なのかを挙げ出すとキリがない環境でずっと生活していた。
・ストリートフードを食べていた
・野良犬と遊んだ
・旅とヨガの修行の疲れが出た
・寒いところから急に暖かい場所へきた
・衛生面がよくない
・空気が汚い
・水道水で歯磨き
だけどなぜこのバラナシに来たこのタイミングで病気になった?
それに2日間死ぬほどしんどくて寝込んでいたにもかかわらず、不思議なことにクリスマスゆうイベント前に体調はすっかり元に戻った。
なんだこのタイミングはと考え始める前にわたしはふと思った。
火葬場かも。
前の記事にも書いたけど、わたしは観光地になっている火葬場に行くことに良い印象を感じなかった。
ボートツアーで近くまで行ったときは言い訳になるが、まだバラナシについて何も知らなかったので言われるがまま火葬場の近くを通ったけど、それ以降自分の足で歩いて見に行くことは一切しなかった。
火葬場への道順は川の上流と下流とゆう形で繋がっているから、ガンガー沿いを歩いていると誰もがそこへ辿り着くことができる。
だけど私は、毎日ガンジス川を散歩していても火葬場が近くなると目を細めて、やっと火が燃えているのがわかるぐらいの距離で立ち止まり、いつも遠目からそれを見た。
やっぱり行きたいと思わない。
直感が先か思考が先かわからないけれど、やっぱり心にストップがかかる。
なんなら若干気分が悪い。
このとき、旧市街からわたしにずっと付いてきた一人のストリートボーイは、火葬場を見て「近づきたくない」とゆう私にこんなことを言った。
「なんで?死ぬことは喜ばしいこと、これから新しいものに生まれ変われるんだから」
「家族が泣いていたら死者は生まれ変わってこれない」
「だから家族もみんな死を喜んでるよ」
「死ぬことはハッピーなことなんだよ!」
だけど私は死を迎えることがハッピーなことだと説明されても納得できなかった。
矛盾すら感じてしまう。
そんな簡単じゃないだろって思っちゃう。
1日に200もの人がここバラナシで火葬されるとゆうが、火葬のための薪を買うお金や、遺体を正装するお金がない人だっている。
成人できずに亡くなった子供、水疱瘡だった人、妊婦、修行僧は肉体を持ったままガンガーに沈められるそうだが、遺体が川底に沈みきらずに何体も沖に打ち上げられたとゆうことも過去にあったそうだ。
生と死を感じるといわれる町、バラナシ。
だけどわざわざバラナシに来なくても、正直それはどこにいたって感じることができると思う。
わたしは体が健康ではない親を日本に残し、こうして今異国に来ている。
最近は生涯で一番愛していたレオとお別れだってした。
日本にもたくさん大好きな会いたい人がいるけど、その人達がいつまで健康で生きていてくれるかなんてわからない。
もちろん、自分もいつ死ぬかわからない。
この2ヶ月間インドをあちこち周り、最後にたどり着いたバラナシで活気的な生命力を感じることはなかった。
人々が一生懸命に生きているとゆう感じもしなかった。
私が持つ目は日本で作られた目だから見逃している部分もいっぱいあると思うけど、
人生を心から楽しんでる笑顔や夢を持っている人を、ここバラナシで見ることはなかった。
死ぬことはハッピーなことだと教えてくれた男は「人間の人生が一番めんどくさいよ」と子犬を抱きながら愚痴をこぼしていた。
商売人もたんたんと毎日同じ一日を繰り返しているだけに見えた。
毎日会話した宿のオーナーも一時的な出逢いばかりでなんだか寂しそうだった。
少し心が痛かったことは、エサがなく環境が悪いこの場所で病気を持っているとわかる動物達を時々見ることと、ガンガー沿いに住む子供達の目つきが明らかに純粋な子供の目つきと違っていたところだ。
あとはもう想像通りのインドだ。
汚くて臭くてゴチャゴチャでカラフルで。。。
あーしんどかったなぁバラナシ。
ひとりで沈没してみた結果、バラナシとゆう場所はやっぱり好きになれなさそうだ。
でもね、旅というものはやっぱり人との出逢いでできあがるもの。
私がここでお世話になった宿で働くインド人のスタッフさん達とは本当に色んな話をした。
本当に心配をかけたし、気にもかけてもらい、深い思い出をこんな私にたくさんくれた。
先にも書いたが、私がここでひどく体調を崩したとき「このまま独りで部屋に閉じこもっていたら死ぬかもしれない」と不安になって、夜中どうやって階段を降りたのかも覚えてないがロビーのソファーでうずくまって寝ていたことがある。
朝、おでこに乗った冷たい手の感覚で目が覚めた。
それは、ここで料理を担当しているお母さんの手だった。
その手はわたしの頬に移動し熱をどんどん吸い取ってくれる魔法のようだった。
意識がはっきりしていない状態だったけど、その手があるだけで涙が出そうなほど安心して眠ることができた。
わたしはうずくまっていた体から顔だけをおかあさんの方へ向け、目からあたたかいものを流した。
お母さんがつくってくれたインドなのに私が一番好きな日本の味がするお粥もぜったいぜったい忘れない。
そしていつもロビーにいてくれたスタッフさん達とも本当に濃い時間を過ごした。
英語が本当にきれいで聞き取りやすく、いつもわたしのレベルで会話をしてくれたラジャジー。
彼はとにかくいつも私の心に刻まれる真剣な言葉と想いをくれた。
私のことをジョリー(愉快)でポジティブでレスポンス能力が高いといつも褒めてくれた。
そして、いい男と悪い男の見極め方をいつもわかりやすく教えてくれた。
そしてお別れの数時間前、彼は私にこう言ってくれた。
「好奇心を止めるな、好奇心を止めるときあなたは終わる」
ホテルのオーナーはとにかくわたしが好きみたいで…(苦笑)
私が病気の間、ロビーのソファで寝ていたこの写真もオーナーのお茶目なイタズラで撮られたもの。
私のことをいつも「悪ガキ!」と言ってイジメてきたけどそれ以上に女性的に扱ってもくれた。
そしてまるで娘のように何から何まで面倒を見てくれた。
だけど私は私なりにいつもどこか寂しそうなオーナーにこれ以上深入りしてはいけないことを感じていたから少しだけ距離を置いて接していた。
その距離を感じとられて寂しい思いをさせてしまったかもしれないけれど、わたしは心からこのオーナーに感謝している。
彼の大きな助けがあったからバラナシで一人だったとはいえ、何不自由ない充実した日々を過ごすことができた。
最後にもうひとつバラナシで素敵な出来事があった。
この宿で出逢ってプージャを一緒に見に行ったとってもピュアで可愛くてたまらないお友達に、最後の夜とびきりのプレゼントをもらいました(号泣)
胸が苦しいほど嬉しい最高のクリスマスプレゼントを本当に本当にありがとう(涙)
あー涙出ちゃった。
気付いたらたくさんたくさんたくさんの愛をもらっていました。
やっぱり旅は人です。
旅は一人で始まるからいろんな人と出逢い、過ごし、通り過ぎ、そして感慨深いものになるんだと思います。
バラナシの街は好きじゃない。
だけど今わたしはとっても幸せです。
(つづく)