【マニラ空港が緊急封鎖】非常事態ほど人は強く優しくなれるもの

こんにちは、愛です。

現在、フィリピンの首都マニラにいます。

新型コロナウイルスの影響を全く受けずに6カ国を転々と旅してきましたが、ついにここマニラでコロナの洗礼を受けることになりましたので、私のリアルな実体験をシェアします。

現在世界を旅されている方、今後海外に行きたいけど情報がなくて不安な方へ何かの参考になれば幸いです。

マニラ空港緊急閉鎖によるフィリピン他諸島への悪影響

私は、2020年3月13日にマニラ経由でパラワン諸島のブスアンガに上陸しました。

野生のジュゴンが生息していることで有名な北コロンでの滞在を目指し、ブスアンガから飛行機→車→ボートを乗り継いで上陸したにもかかわらず、到着した現地のホテルでいきなりこう告げられました。

「明後日15日にマニラ空港が閉鎖されるから、パラワン政府も15日以降は島全体を閉鎖するとの発令が出た。このホテルも明日から当分クローズするから、明日の飛行機でこの島を出てください」

遥々やってきた北コロン島で、ウェルカムソングを聞かされながら「明日帰ってくれ」という、史上最強のカオスを経験します。

旅先でコロナの影響を受けた時は冷静に情報処理しよう

ここからは、私の実体験を元に話していきます。

まず、旅先でコロナの影響を受けたときは、周りがプチパニックになってることが多いと思いますが、そんな状況に影響されて自分まで冷静さを失うってしまうと、行動を誤ってしまう可能性が高くなるので、まずは落ち着いて周りの声とインターネットからできるだけ情報を集めてください。

「明日ブスアンガから出てください」とホテルのスタッフさんに言われたとき、私は「ここにそのまま滞在したい」とホテルのスタッフに交渉しました。

でも、「パラワン政府が島全体をクローズすると発令したからそれはできない」と返され、その選択肢はなくなりました。

はっきりと文句を言いますが、今回のパラワン政府が出したこの「15日以降島全体をクローズする」という緊急発令は、だいぶ間違えてると思います。

もう一度整理しますが、

13日 ドゥテルテ大統領から緊急命令

14日 この日中になんとかしなければいけない

15日 マニラ空港閉鎖(パラワン島全体も閉鎖)

Wi-Fiもまともにつながらず情報もろくに探せないこの島で、何ができるって言うんですか。

「15日にマニラ空港が閉鎖される前にマニラに戻れ」というのは、明らかに無茶な話です。

地図から見れば小さな島ですが、島内にはたくさんのツーリストがいて、みんな空港に集まってこの島を脱出する飛行機を探しています。

人々が押し寄せ混雑する空港

後々、この島に住む日本人の斎藤さんという方に伺った推測ですが、

ブスアンガは離島で病院がないから、万が一感染者が出たときに即時対応できないからだと思う」それに、マニラからの路線が止まると、水や食糧の運搬も止まるからの判断だとはいえ、ちょっと急というか、パワラン政府やりすぎだよね…」

私が宿泊していたホテルは、たまたまブスアンガ島の中でも大きめのホテルで、働いているスタッフさんの数も多く、優秀なマネージャー達の手回しで、翌日のマニラ行きの臨時フライト枠を確保してくれていました。

でも、その臨時フライト枠のことをスタッフさんから聞いたときには、常に「残り3席」という状態でした…

15日以降のフライトは保証がないし、この島も政府命令で閉鎖になるから「明日マニラに帰るのが一番いい」と断固として言われ続けます。

それでも当時のわたしの頭の中はこうでした↓

・できればこの島に残って海で潜りたい!
・マニラ経由は空港がパニックになるから嫌だ!
・セブ空港は動いてるっぽいから、セブに飛びたい!

当初の計画では、ブスアンガを旅したあとはセブ島の近くにあるドゥマゲッティという島に住む友人の家に沈没する予定でした。

だから私は、マニラ便を抑えているにもかかわらず、夜中、星空を撮影しながらずっと「ブスアンガ→セブ」行きのフライトを3Gの超遅い電波で探してたんです。

マニラ空港の国内線だけが閉鎖されるわけであって、セブ空港は閉鎖の対象にはなってなかったし、セブに住んでいるフィリピン人の友人にもメッセージで状況確認したら「セブは今のところ全然大丈夫よ」と返ってきたので、絶対セブ経由のフライトは出ると予測していました。

私は、こんな状況でも自分の考えとエゴをスタッフさんにガンガンぶつけます。

するとスタッフさんが、「臨時フライトはお客さんが優先だから、わたしたちはもしかしたらこの島に閉じ込められるかもしれないのよ…」と、儚げに言葉を漏らされたときは、自分の身勝手さが嫌になり、

「ごめん… あなたが手配してくれた臨時フライトで明日マニラに帰るね…」

こう言うしかできませんでした。

コロナによる規制は常に変動する!政府命令だからといって絶対はない

翌朝7時、ホテルから船と車を乗り継いで空港に到着すると、「今日この島から出なければいけない」たくさんの人々で溢れかえっていました。

小さな小さな島ですよ?来た時は、ほとんど「人」なんて見なかった小さな小さな島に、こんなに人が押し寄せています。

ブスアンガに到着したときの空港(誰もいない)

この人達から見れば、私たちはまだラッキーです。

とりあえずマニラに帰れる航空券をおさえてもらってるんだから。

ブスアンガ島には、私たちをサポートしてくれた斎藤さんを含め、今この記事を書いている15日午後にも飛行機が取れなくて島から出れない人たちがいるんです。
(追記:無事セブ島経由でブスアンガ島を脱出できたと報告を頂きました!と同時に、パワランではお米の買い占めが始まったようです… )

窓口を開けないフィリピンエアライン

フィリピンエアラインの前には長蛇の列ができています。

中にはスタッフが3人もいるのに、目の前に並んでいるツーリスト達からの問合せを一切受け付けていません。

理由がよくわからなかったのですが、おそらく上層部の指示を待っていたんでしょうね。

そして、午後12時頃になって状況はやっぱり変化しました。

フィリピンエアラインの役職者から、「15日以降も3日間、セブとクラーク行きのフライトを出す」と保証された用紙が交付されました。

実際に発行された証書

当たり前といえば、当たり前の結果ですよ!!!

今日一日でここにいる全員がこの島を出ることなんて、どう考えても無理に決まってる。

先進都市じゃないんですよ。何回も言うけど小さな島です。

でも、パラワン政府はそういう事を考えて発令しなかったんです。

フィリピンエアラインがどういう経緯で臨時フライトを18日まで出すと決定したのかまではわかりませんが、政府命令に絶対なんてありません。

しんどい状況下でも、必ず解決策が出てくると信じて待つということも非常に大切です。

私も、セブ行きのフライトが出ると予想していた自分を信じて待っていれば、今頃、予定通りドゥマゲッティの友人の家について、フィリピン滞在をエンジョイしていたはずです。

結局、マニラにほぼ強制的に返されたあと、案の定、マニラ空港の各エアラインは国内・国際線も長蛇の列で、私がこの島で出逢ってお世話になった日本人の2人も、日本行きの航空券をもらうのに「400人待ち」の状態だったそうで、今晩は諦めてマニラで一泊し、翌日の便に変更されていました。

一方の私は、なんとか国内線でドゥマゲッティか最悪セブ島まで飛べないかと、フィリピンエアラインとセブパシフィックのオフィスを訪ねました。

封鎖先日のマニラ空港

めっちゃしんどいのが、マニラの国内線エアラインって、全てビルがわかれていて移動が大変なこと。

炎天下の中、36kgの荷物を持ちながらビルとビルを移動しました。

もちろん、どのエアラインのオフイスも、今日中に移動しないといけない人たちで溢れていて、「順番待ちの整理券をとって待て」と言われますが、待てるわけないじゃないですか。

だって、待ってる間に今日最後のフライトが離陸するからしれへんねんから!!!

何百人もの人が押し寄せるチケットカウンター

そんな状況で待てって言うの?!」と申し訳ないけど、わたしも強く食ってかかりました。

そうすると、状況を全部理解してくれた警備員さんが、「横入りしていいから、あのスタッフにフライトが何時か聞いてこい!」と応援してくれました。

でも結局、わたしが行きたかったセブ方面への国内線は全て完売しており、マニラから別の国へ出国するという選択肢だけが残りました。

もう過ぎた事で仕方ないです。

これに対してどうこう想うどころか、今回の経験で次の大切なことを肌で学びます。

大変な状況下でこそ「大らかに」人と心で支え合おう

少し話を戻しますが、ブスアンガ(パラワン)で飛行機に乗るまで、外で4時間以上も待ちました。

日陰があったのでラッキーだったのと、たまたま同じホテルに宿泊していた日本人ダイバーの方達と一緒だったので、退屈することも落ち込むこともありませんでした。

「もし出れなかったら、ブスアンガでたこ焼き屋でもしようか!たこは海で潜って採ってさ!」と、笑い合える仲間にも、わたしはこんな状況で出逢えたわけです。

コロン島で出逢った日本人仲間

デンマークから来ていた観光客の人たちも、「もっと楽しもう!」とおもしろおかしな芸をしながら、アジア人の私に笑顔を向けてくれます。

陽気だね。あなたはコロナ怖くないの?」っととっさに聞くと、

全然(^^)君も、もっと陽気になるべきだよ」と言ってくるんですよ。

誰ひとり、決して楽ではないこの状況に対して大声をあげたり、文句を言う人間を見ませんでした。

ものすごい明るさを持ってる人たちの存在に救われ、こんな状況だからこそ周りの人達と助け合うこと、そして、笑顔と明るさを絶やさないことの大切さを、今回の経験で深く学ぶことができました。

この方は、先述したブスアンガでラーメン屋を営む日本人の斎藤さんです。

斎藤さんは、わたしたちが日本からやってきた者だと知って、日本大使館にわざわざ電話をしてくれたりもしました。

日本人観光客が、万が一この辺境の島に取り残されてしまったときに、すぐに対応してもらえるようにと。

コロン島でラーメン屋を経営する斎藤さん

大変な状況下の中で、自分のエゴなんて見せてる場合じゃないですね、本当に。

みんなで小さいながらも支え合い、大らかな心にならないと。

私にとって、こういう経験は初めてだったので、ここに書き留めました。

と同時に、コロナウイルスによって旅を中断している方への励みにもなればいいなって思って書きました。

こういう大変なときこそ、人々との心からの繋がりが問われるときだと震えるほど強く実感しました。

日頃からもっと出逢う人みんなを大切にして、繋がりに感謝し、もっともっと強く明るく生きていかなければならないと。

また、コロナで旅を規制される社会模様にもなっていますが、「コロナだから、コロナだから」と言い訳を付けて立ち止まるのか、逆境でも進み続けるのか、決めるのは自分です。

わたしは、世の中がどうなっても旅を続けるつもりの心で今もいます。

やりにくさも制限も出てくるだろうけど、セカイはずっとそこにあって、逃げないんだから。

(おわり)