こんにちは、愛です。

今から書くことは、母親失格とも呼べる自分の醜態を世間に晒す行為だとも思うので、正直書きたくないことではあります。

でもこうして書こうと思ったのは、

わたしが今回経験した苦い体験が、同じような(似たような)ことで悩んでいる人たちに少しでも役立てばと思ったから。

離乳食を食べない子供というのは、世間にたくさんいるそうです。

私たち大人からすると「美味しいご飯」でも、乳幼児からすると得体のしれないもの。

得体のしれないものを目の当たりにするだけでなく、お口に入れられようとするんだから、子供たちの拒否反応はある意味、自然の摂理に適った防衛本能と言えるのかもしれない。

 

うちが離乳食をはじめたのは、息子がちょうど8ヶ月になった頃でした。

マニュアルでは5〜6ヶ月頃から始めるのが一般的なので遅いスタートではありましたが、最初はスプーンをお口に運んでも嫌がらず、10分粥よりサラリとした玄米重湯を味わってくれました。

それから少しづつトロミの強いものへ切り替えていく段階で、ある日を境にパタリとお口を開けてくれなくなり、スプーンを口へ近づけると顔を背けたりテーブルに伏せたりして、全力で離乳食拒否の状態へ。。。

その後は、味をつけてみたり、いろんな野菜果物をペーストにしてみたり、手づかみ食べできるように柔らかいご飯を用意してみたり。

できることは試行錯誤してやってみましたが、テーブルの前に座らせるだけで仰け反り泣き、「まんま〜!!!」と母乳だけをひたすら欲しがる日々が続きました。

アメリカにいるパパにも離乳食を食べてくれないとよく相談してました。

「そのうち食べるから大丈夫だよ〜」
「うちもずっと母乳で離乳食遅かったで」
「急に大人のご飯食べ出すかもね!」

信頼している助産師さんや子を持つ友人に度々相談しても、「楽観的に構えてたらいいよ」的なアドバイスだったので、わたしは無理矢理ご飯を食べさせる行為を完全にやめることにしてみたのです。

 

そうして離乳食の悩みに蓋をし、母乳育児を継続しながら息子は1歳半を迎えました。

食べ物や食器を自分で持って口をパクパクさせる仕草が定着してきたので、そろそろ食べ始めるだろう!と期待に胸を膨らませていた時に、事件はおきてしまいました。

母親である私が急に体調を崩して寝込んでしまい、吐き気と腹痛でなにも食べることができず、2日で4キロも痩せてしまったのです。

そして、その翌日に区役所で行われた一歳半検診で息子の体重が7キロしかないことに気付きます。

1歳半の平均体重は10キロです。

少なくとも8キロはないと発達障害を疑われますが、息子は前回の検診で8キロを超えていたにもかかわらず、半年経った今7キロにまで減っていたのです。

役所の人は「何かの間違いだろう」と体重を3回計り直していましたが、やっぱり数字は「7」から変わることはありませんでした。

他に大勢いた同年代の子供達はみんな自分の足で立ち、走りまわっている子もいる中、息子はまだ一人で立つこともできない。。。

子供の成長は誰かと比べるものではないと思っていたわたしの独断な考え方に「間違いがあった」という現実を突きつけられます。

息子は私の目から見て、すごく元気に見えました。

よく笑うし、普通によく遊ぶ。

ぷくぷく感がなくなってきたのは、運動量が増えて成長しているからだろうと。。。

この日、同じ年齢の他の子をたくさん見て、それは完全に親の欲目だったと悟りました。

 

役所に「危機的な状態なので、すぐに小児科で栄養状態を検査してください!」と言われ、そのまま紹介された大きな小児科病院へ。

血液検査の結果は「低血糖」で、ケトン体の数字が3300にまで上昇していました。
※ケトン体の正常値は100以下です。

ケトン体が上がるというのは、1日に必要なカロリー分のエネルギー(糖質)が体内にないという状態です。

体内の糖質が足りないと、身体は脂肪やタンパク質などを使って生命を維持しようとするので、ライザップなどで低糖質ダイエットをする方には好都合な状態ですが、成長期真っ只中の乳幼児にとっては超危険な状態です。

子供が低血糖になると、つわりや胃腸炎と同じような症状らしいのですが、息子はそんなしんどいはずの状態だったのに、私に笑顔しか見せてくれませんでした...(号泣)

とりあえず外来で点滴をしてもらったあと一時的に帰宅しましたが、自宅で嘔吐してしまい、夜間救急外来で病院に駆け込み、そのまま入院になったというのが今回の経緯となります。

 

これを書いている今は、息子が入院して20日目です。

先に今の息子の状態から説明すると、体重は1200g増えて現在は8.2キロ。

入院してから10日間はブドウ糖点滴でエネルギーを体に届け、ケトン体は無事3300→100以下まで下がりました。

担当医から「時間かかると思うけど離乳食を口から食べれるように頑張ろう!」との流れになったので、毎日ご飯を看護師さんに食べさせてもらってはいますが、やはりスプーンはいまだに嫌がっている様子。。。

でも、スポイドはお口に入れることを許してくれるようで、なんとか口から少しづつご飯の美味しさと楽しさを経験しているところです。

時々、看護師さんがスポイドとスプーンをこっそりすり替えてお口にご飯を運ぼうとするのですが、敏感に気付いて断固スプーン拒否してます...(笑)

今お口から食べている離乳食の量だとカロリーも水分も足りないので、「イノラス経腸栄養剤」という高カロリー栄養剤も毎食飲んでいます。

なぜか息子はイノラスのヨーグルト味が大好物らしく、イノラスがスポイドでやってくると口をアーンとし、イノラスがスプーンに乗ってやってくると全力拒否。。。

なんでそんなにスプーン嫌いなんだろう?😭

スプーンも5種類ぐらい家から持っていってますが、全部嫌がります。

ちなみに歯ブラシのときは口をアーンとするそうなのです。

子供って普通、歯ブラシを一番嫌がるんじゃないの?😅

何はともあれ、入院初期に消えていた笑顔もようやく戻り、最近は保育士さんや看護師さんにも懐いてそれなりに楽しく過ごしているようです🙏感謝

 

付き添い入院が満室でできないので、毎日20分しか息子に逢えないのは母親として寂しく辛い日々ではありますが、わたしは今回、息子を入院させてしまったという母親として最低の失態を自ら経験して、自分がどれだけ光を遮り、長年傲慢に生きていたかということに本当の意味で気付き、深く自省しました。

不甲斐ない自分を責めに責めてできた代償は、甲状腺の腫れです。。。

これは明日検査に行ってきますが、確実に精神的ストレス過多とセルフラブの欠如が原因だと思っています。

甲状腺の病気って、自己免疫疾患が原因なんですよね。

「なんて母親だ」
「子供を栄養失調にするなんて」
「なんて最低な人間んだ」
「なんで我が子をこんなにしたんだ」
「わたしなんて母親失格だ」
「わたしにはなんの価値もない」
「母乳(自分)を過信しすぎた」

息子が入院した当初、自分を攻めて責めて攻撃しまくってできたしまったインナーチャイルドの嘆きが甲状腺の腫れとして現れたんだと思います。

1年6ヶ月フル回転で母乳を作り続けてきた身体が、急に断乳せざるを得ない状況になったことによるホルモンバランスの乱れもありますしね。。。

母乳出しながら生理は来ていたので、ホルモンバランスはそこまで崩れてないとは思いますが、やっぱり息子が入院してからずっと体調は万全ではありません。。。

気温20℃超えてるのに、めちゃくちゃ身体冷えるようになったし、時々頭がふらふらして目眩の手前みたいな症状もあるし、頭痛、花粉症の延長も然り。。。

血液検査はなにも以上なかったけど、謎の血尿反応は出てたし。。。

明日の甲状腺の検査で、大きな病気が見つからないことを祈るしかできない。

 

あとね、、、

息子がこうなる前に
「5ヶ月から離乳食始めたらよかった」
「哺乳瓶で水分補給させとけばよかった」
「無理矢理でも口に入れればよかった」
「もっと離乳食と向き合えばよかった」
「なんでもっと勉強しなかったんだ」
「なんで毎日体重を測らなかったんだ」

と、過去ばかりを見て「あ〜しておけばよかった」と無限に嘆き続けるのはもうやめました。

「完母でも5ヶ月頃から離乳食は練習させなきゃダメだよ!」と新米ママに出逢ったら絶対アドバイスはする。

だけど、もう私の人生には「息子が離乳食を食べれなくて低血糖で入院させてしまった」という経験はやってきてしまった。

この経験はもう変えられないし、たとえ過去に戻っても変えられるかすらわからない。

人生で起きる出来事は、起こるべくして起きるんだよね。

それは、魂の成長にとって必要なことだからだと理で感じてる。

自身の病気であっても、
愛おしい人の病気であっても、
なにかの喪失であっても、
大きな悲しみであっても、

人生で起きることは、もう神の域によって予め決まってるんですよね。

それなのに、起きてしまった出来事への悲しみや後悔や怒りに自分の心を縛り続けてずっとエネルギーを消費するのは、懸命でも愛でもないと思いました。

私たち人間は、起きた出来事を細かく分析するのが好きで、その経緯や背景や善悪の判断や解決策を見出すことに日々ほとんどの時間を費やしている。

でも、私たちが愛であるのなら、起きた出来事をただ純粋に受け止めて、痛みから逃げずに喜びに変換されるまで静観し、感謝に変えていくことが正しい道だ。

それができなければ、問題はこれからも連鎖して起き続ける。

なんかね、息子が入院している間に意識がこんなステージまでやってきちゃった。。。

まだ一人で生きられない小さな子供を入院させてしまった経験は、親として自分のこと以上に辛かったけど、幸い元気と笑顔を取り戻してくれているので、こうしてブログを書けてはいます。

それでも、やっぱり心配はゼロではありません。

内省しながら、自らをクリーニングするために、これからも細やかに祈り続けます。

心境含め、またおいおいアップデートします。

(つづく)