すべてをくれた「聖地セドナ」

ずっとずっと、、、

ここ数日のあいだずっとセドナの記事を書いている自分をイメージしていた。

どう書き始めるべきか?

どう言葉を使うべきか?

絵を描くべきか?

抽象的に表現すべきか?

わたしがこのブログを通してみんなに伝えたいことは、きっとわたしの記憶のまま100%で届かないことは前提としてるけど、それでも全力でこの聖地のことを伝えたいとゆう思いだけはもんもんと抱えていた。

やっと今日手探りで心と記憶になんども確認しながら、それを書いていくときがきた。

どうか最後までおつきあいいただければ幸せです。

セドナのあの景色を思い返すだけで目の表面にあったかい涙の膜ができる。

何度でも、どんな自分のときでも。

あの視界に収まらないくらい広大な紫オレンジの夕陽も

まっくらな街の中で月と星だけが明るい夜の空気も

みんなで囲んで無言でながめた黒と赤の焚き火も

歯止めが効かなくて怖くも感じるスピリチュアルな人達も

マリファナの匂いも

細胞がゆれるくらい重低音な音楽も

この地ではじまった素敵なご縁のはじまりも

急にでてきたわたしの醜い感情も

ぜんぶはっきりと思い出せる。

わたしがみたセドナは、まさにファンタジーの世界だった。

いや、魔法の世界か、宇宙だったのか。

クリスチャンラッセンの描く絵に近いような、そんな色使いを感じた場所だった。

「今流行りのパワースポット」とゆう考え方もある中で、これから私がセドナでみたもの、経験したことを書いていく前に、まずこのことを書いておこうと思う。

わたしがセドナから離れてアメリカ横断の旅路を進めているとき、シリコンバレーでお世話になったレイモンドから連絡が来た。

レイモンド
「来月どこかに行きたいんだけど、おすすめのとこある?」

私はこう返信した。


もし行ったことがないならセドナ!素晴らしい場所だった

ちなみにアメリカ人の間でセドナという場所はあまり知られていない。

出逢うアメリカ人達にセドナの話をすると「どこそれ?」みたいな反応が返ってくることが多々あった。

でもレイモンドは、メールの1ヶ月後に私がおすすめしたセドナに本当に行ってくれたみたい。

そんな彼がセドナにいるとき、予想外のメールが入った。

レイモンド
「愛はここで1週間もなにしてたの?」

レイモンド
セドナで何もすることがないんだ、なんかアドバイスちょうだい?

予想外のリアクションに私は驚きを隠せなかった。

そのときのレイモンドとのメールのやりとりを見返して、わたしは彼にこんなことも言っていた。

「なにも期待しないで、ただ自然に、ただリラックスしてね」

もちろん私がセドナで感じたことや、素晴らしい経験のストーリーも端的ではあったけどレイモンドに伝えていた。

彼もそれを聞いて「すごいね!パワーだね!俺も感じてくるよ」と言ってたんだけど、実際行ってみると彼の経験は私と全然違っていたようだった。


えっ、、、そこにいてなにも感じないの?

レイモンド
なにも?ここに愛がいたんだってことぐらい

相変わらずびっくりする返事が返ってきた。

レイモンドがもし自分でセドナという場所のことを知って旅をしていたら、きっと違った経験になったかもしれない。

今回の彼とのやりとりから、わたしは自分から人に「すすめる」とゆうことを見直そうと思った。

レイモンドがセドナに行ってわたしと同じような感情を抱けなかったから悲しい!とかそんなことでは全くない。

大切な人の、その人の人生、その人の旅だから、行き先は自分の目と心で感じて決めてほしい。

不思議とそう思うようになったのだ。

とくに大切な人に対しては、余計にそうしてほしいと思う。

もちろん何かアドバイスを求めたれたら喜んで答えるけど、今後わたしから出しゃばった意見はなるべくしないようにしようと思った。

そして私自身もこのアメリカ横断の旅で考え方がちょっと変わりました。

仲の良い友人や先輩から「◯◯良かったよ!絶対行った方がいい!」とすすめられても、あんまり過剰に反応してリストに付け加えなくなりました。

だから、わたしがこれから書くセドナの日記を見てくれるみなさんにも、おせっかいながらそんな気持ちで読んでもらえたらいいなって、ほんわりと思っています。

でも本当にすごいんだ、セドナは。

この記事のタイトルに「すべてをくれた」と書きましたが、わたしがようやくこの世に生を授かって人間として生きてることの意味を深く考えはじめれるようになった、その起源をくれた場所だと勝手に思っています。

なんだか帰りたくなる故郷のように暖かく、、、

でも寂しいからとゆう理由だけで帰っても、あのとき感じた確かな想いにはきっと触れられない。

私にとってセドナは、このセカイの全ては結局「自分次第」とゆう考え方を強く教えてくれた場所。

うまく言葉で説明できないし、あんまり詩人みたいなこと言うのも恥ずかしいのですが、なんだかそんな気がしてしっくりきたタイトルです。

さぁ!前置き書いたぞーぅ!

次回からはセドナでの過ごした毎日を時系列で書いて行こうと思います。

(つづく)