本当は書きたくないけど、この醜さも自分だから

子宮の洞窟とキャセドラルロックの夕焼けツアーを終えて、すっかり夜になったセドナ。

わたしが宿まらせてもらってるパトリックの話をすると、NANAさんが紹介してほしいと言うので承諾してはみたが、まさか今夜これから全員でパトリックの家に押し掛けることになるとは思わず、わたしは今からどんな状況になるのか想像できず、少し気が重くなった。

まず、パトリックに許可をとっていないとゆうこと。

そして私は、あんまり大人数で長時間楽しめるラフな性格を持っていない。

それより何より強く思ったことは、パトリックの家は観光スポットじゃない。

ぞろぞろと日本人に入られるのは、なんだか、、、なんかわからないけど嫌な気分が先に心にやってきてしまう。

ケニーが運転する車がパトリックの家の前に停まり、私はまず「パトリックに確認してきます」と言って、ひとりで家の中に戻った。

事情を説明した後、パトリックは初めて会う人間ばかりの急な来客にも関わらず、軽い足取りでNANAさん達の待つ門の前に行ってくれた。

狭いセドナの街で、パトリックとNANAさんには共通の知人が何人もいたらしくすぐに打ち解けていた。

そしてそのままNANAさんが「日本人の女の子がふたりいるからその子達も家に招いていい?」とパトリックに尋ね、パトリックも「もちろん」と快諾した。

私は相変わらず複雑な心境だった。

パトリックは初めて会う皆に家の中を案内し、そして自分の仕事であるディギングと天然石アクセサリー作りのことをまるで社会見学のように説明する。

そして「お土産にあげる」と最近採掘してきたクリスタルをみんなにひとつづつプレゼントした。

私はもうなんだか見ていられなくって、いつも自分が部屋代わりに使わせてもらってる場所に行って、みんなが帰るまでやり過ごそうとも考えたけど、それもそれで落ち着かない。

なぜだかわからない。だけどこれが私の狭い性格だ。

結局みんなはそんなに長くもなく、ほんの30分程の小さな滞在だった。

みんなが帰った後、私は「急にこんなことになってごめんね」とパトリックに謝った。

すると彼は、私が数秒前に口にしたその言葉を激しく後悔させるほど、優しく愛に満ちた顔でこう言った。

「ありがとう、愛が繋げてくれた素敵な輪なんだよ。俺は人と人がこうして継ながることが大好きなんだ」

あぁ、、、私ってなんて醜いんだろう。

なんだわたし
なんだこれ
なんでこんな狭くて小さいんだ
なんでもっとオープンになれないんだ

それ以前に、私はパトリックのことをなんだとおもってたんだ。

私と一緒で「狭い人間」だとでも思ってたのか、最低だ。

この日から私はセドナで無邪気に笑えなくなった。

翌々朝、それに追い打ちをかけるような出来事が起きた。

「ものすごい美人の旅人が来たんだ!フェニックス空港まで迎えに行ってきたよ!」

朝からテンションが異様に高く興奮気味のパトリックに紹介された女の子に目を向けた。

わたしの目線の先には、若くて可愛い女の子がすごくナチュラルにパトリックの家に馴染んでいた。

まるでセーラームーンみたいな可愛いふたつのお団子ヘアにクリクリした大きくて黒い瞳にとても綺麗にマスカラされた長い睫毛。

ヒッピースタイルの似合う少し露出された褐色肌には自分でデザインした個性的な洋服と靴をとても上手に着こなしている。

名前はローズ、ロサンゼルスでアパレルデザイナー兼アーティスト活動をしているそうだ。

絵を描くことが好きで、姿が見えないなと思ったら持っている分厚くて味のあるスケッチブックに色鉛筆で絵ばかり描いている。

もしくは、陽の当たる庭で綺麗なウエストとおへそを出して寝ている。

どんなローズを見ても神秘的で、本当に素敵な女の子だった。


「なんで人魚を描いたの?」

ローズ
「ん〜なんとなく?」

ローズが描いてくれた人魚

私達は「絵を描くのが好き」というちょっとした共通点があり、私が持ち歩いているiPadをローズに渡すと、人魚の絵を突然書き始めた。

ローズのなんとなくが私の大好きな人魚だったことが単純に嬉しかった。

でもローズがここに来てから、なぜか私のこの家での居心地は悪くなった。

嫉妬まではいかないとしても、今までわたしに無償の愛と優しさをくれたパトリックやその他の人達の興味が、私から次のものへ移ったことをはっきり悟ったときの青く汚れた感情。

比較してない、気にしてないと言い聞かせど、女ながらに感じてしまったんだろう。

わたしはクソガキだ。

愛情は独り占めするものだと思っている子供と一緒。

かまってもらえないと寂しい、悲しい。

三十路を手前にした大人がまだこんな精神レベルにいることに気付き、つくづく救いようのない性格だと気付かされ自己嫌悪に陥った。

夜、みんなにバレないように庭に出て、そんな不甲斐ないアホまるだしな自分に気付き、膝をかかえて泣くしかできなかった。

あほだとわかっているが心はすごく孤独を訴えてきた。

バカな孤独の感じ方で、泣くに相応しい出来事でもないだろうに涙しか寄り添ってくれるものはなかった。

エゴがくれる涙がなにも解決してくれないことをちゃんと知っていても出し切ろうと思った。

アメリカ横断をはじめて約2週間。

その短い期間の中でもらった愛情が測りしれないほど大きすぎて、いつの間にか愛をもらいなれて謙虚さを失い、私のマインドは明らかにドス黒い「エゴ」に変わっていたのだ。

ひとつ救いようがあるとすれば、気付けてよかったということだけだ。

ちょうどこのとき、日本時間では私の誕生日だった。

そのおかげでタイミングよく色んな人たちからお祝いのメッセージを頂き、その流れである先輩にこの時の自分の心の内を正直に明かした。

この先輩は数年前にアメリカ一周を女一人でやり遂げた強い人だったから、私のこんなどうしようもないシチュエーションを理解してくれるかもしれない、そう思った。

その先輩は私が今感じている醜い感情に対してこう言ってくれた。

広いアメリカの大地でおもいっきりワガママになっていい

わたしが今感じていることなんて、どうしようもないほどバカすぎて地球は相手にもしないだろう。

だから、ネガティヴな感情だってちゃんとこうして拾って感じてあげていいんだ。

そしてもうひとつ、こんなエゴ丸出しの私を身近で救ってくれたのは、昨日まで一緒にセドナで過ごしていたメキシカンのアイデとの新鮮な記憶だった。

私はもうアイデのことをもう「おねえちゃん」と呼んでいる。

私より後にセドナに来て、先にメキシコに帰ったアイデだが、一緒に過ごしたときに近くで見ていた彼女のナチュラルで強い精神を思い出し、自分の心にツギハギで縫い付けた。

ブログなんて、、、経験したことをおもしろおかしくリメイクして世に伝え、それなりの反応があればいいってものかもしれない。

けど、わたしが育てていきたいブログはそんなものではなく「自分の化身」になるような、自分自身で「私」を見つめる為の、ゆわば感情と精神すべてのレポートでもある。

路頭に迷っている時の自分が読めば、道標になるほど自分自身がわかるようなものとして育てて行きたい。

もちろん私が正直に書くことによって、私以外の誰かに迷惑が掛かる内容はご法度だけど、それ以外であれば感じた闇もドロドロも痛々しい部分なんかも、これからもちゃんとアウトプットしていきたい。

でもね、それってやっぱり結構しんどい。

だって向き合いたくないものと向き合わないといけない時間だし、そんなときの自分って鏡すら見れないくらいブサイクだから。

顔は心を現すと言われている根拠も十分に理解できる。

しかもこんな醜態をあえて自分以外に見せる必要なんてないのに、世界中に公開されているこのブログに文字とゆう名の証拠として綴ってしまう私も本当にバカかと思うこともある。

だけど、わざわざ文字にして吐き出した先には何かがある。

吐き出すことへのすっきり感もあるだろう。

だが一番の効果は、時間をかけて正直さを熟成したいとゆうところに辿り着くのではないだろうか。

ちょっとでも何かを隠したり、小さなカバーをかけたりするだけで、自分がどこかで狂い始める気がする。

小さな感情の違和感を放置する、それはいずれ「嘘を呼ぶ」気さえする。

そしてその嘘は、生きる意志力への妨げになってくると思うのだ。

例え些細なことでも、心や体が「違う」と反応をくれているものを適当にやり過ごすような中身のない人間にはなりたくないし、そんな風に自分で自分を扱いたくない。

そんな人間になってしまったら、好きな人に好きだとまっすぐに伝えることもできなくなると思うんだ。

だってそうゆう些細な思考や感情の置き去りが、きっと性格やオーラや日頃の行動に表れはじめる。

私は、あほで馬鹿正直でもそんなふうに生きていきたくないだけ。

こんなどうしようもないマインドが今日この記事を私に書かせた。

こんな感情だって旅の一部なのに、それを省いて綺麗ごとだけのブログにしたくなかった。

I hope this dicision gonna be right for my life and I’ll know it someday.

(つづく)