神様はなぜ人間に余計な感情を与えたの

フィリピンのビリ島はまだ未開拓の土地でまるで惑星のようやった。

ここで出逢った優しいガイドさんと、たくさん「過去」と「今」の話をした。

もしまた行けば、彼が生きてる限りきっと私のことを覚えてくれてると思う。

何度も船やバスを乗り継いでいくこの惑星には、今の計画を全て置き去りにすれば物理的に行けてしまうけど、、、

そんなことして行ったとしても、この時に感じたあの壮大で神秘的な感動はもう得られないと思う。

そう思うとなんだか「旅」の意味を深く考えさせられた。

絶景というのは世界中に点在するけど、自分の心の美しさとか曇り方によって見え方は全く違うものになる

今の私がまたここに行っても、あのとき確かに感じた大きな感動、明るい未来しか見せてくれなかった優くて強いオレンジの温もりを見ることはきっとできないと思う。

人間て本当に怖い。

自分が人間ってゆうのが時々めっちゃ怖くなる。

私はこれからも自然と誰かを傷つけて生きていくだろうし、それが嫌だからといって周りに気をつかって生きていくのも疲れる。

傷つけたくない、じゃあもう誰とも関わらないほうがいいんじゃないかって時々思ったりする。

みんなそれぞれ何かを抱えて、幸せなときなんて絶対永遠には続かない。

だって幸せが続いたら、もう幸せが当たり前じゃなくなって何も感じなくなる。

どんなに笑顔でキラキラした人だって、きっと何かで落ちこむときが絶対ある。

あの人だって、あいつだって、あの子だって、もちろん私だって、みんな何かを抱えてる。

悩んでる。考えてる。

そう思ったら少しだけ心が楽になる。

あ、自分だけじゃないやって。

でも楽になった心は束の間、急に周りと比較している自分に矛先を向けてまた辛くなってしんどくなる。

そして前に進めなくなっていく。。。

私は本当に幸せな生き物だと思う。

家族がいて、友人がいて、住む家があって、使えるパソコンを持っていて、自発的になんでも学ぶことができる。

健康な足でどこでも行けるし、働いてお金を稼ぐこともできる。

美味しいものを美味しいと感じれるし、なによりも自由に生きているほうだと思う。

それなのに、なんで神様は人間に余計な感情をあたえたんだろうね。

神様があたえたのか人間が勝手に創り出してしまったのか。。。

ここ最近すっきりしない日が続いてたので書きました。

必要のないものを自然と引き寄せない自分になりたいです。

じゃあきっと・・・

って思うのは、ダメなことかな。

追記:わたしの周りには自分の道を突き進み頑張ってる素敵な人生の先輩がたくさんいました。今すぐには会えなくても、その人たちの背中を想い返しながら何度でも立ち直って今後も夢に向かって頑張っていこうって思います。

(おわり)